天神大橋付近 (FUJIFILM FinePix1300使用 2001.01.29撮影、作成)
大橋たもとの高知市の説明板より 江戸時代、鏡川に仮設された、城下町付近での唯一の橋で、俗に大橋といわれ、江戸時代中期の「土佐州郡志」によると、長さ76間、幅2間という城下最大の橋だった。 元和8年(1622)に藩主が、真如寺などへ参詣するために本格的に架設したので当所は真如寺橋と称し、以後20年ごとに改修するのを慣例としていた。18世紀中頃には天神橋と改称されている。 維新以後は、民間の力で保存・管理されていたが明治36年4月、下流に潮江橋が架設されると仮橋に掛け替えられ、大正14年5月にはコンクリート橋が架けられた。その後、昭和33年3月に幅を二倍あまりの10mに広げ天神大橋と改めた。 現在の橋は、昭和61年6月、長さ145m、幅14.5mの近代的な橋として完成した。 |
鏡川南岸の「龍馬スタジアム」横から東方の赤い天神大橋を望む。
このあたりの岸辺には護岸のためか、石堤が所々に突き出しています。子どもの頃には
かなつきやエビ玉で石の間に潜む魚や川エビを獲ったものでした。
鏡川北岸の「みどりの広場」から東方の天神大橋を望む。
天神大橋南詰め(右岸)には天神橋駐車場があり、私はここの代行運転をよく利用したものです。
代行運転を利用すれば飲んでいる間の何時間でも駐車料金は500円。
おまけに飲食店までの送迎付きでした。
天神大橋は赤い欄干に赤い橋桁です。すぐそばには貸しボート屋さんがあります。
夏、8月9日よさこい祭りの開始の日には花火大会が近くの川岸で催され、
この欄干は観客で鈴なりとなります。
自転車で学校に通った日々を思い出します。雪が降ってこの坂が凍りついた日のことも。
南岸の東側はホテル街です。並びには「チミポンサ」というカラオケルームもあり、高校生
たちには人気でした。あれ、誰かの家もこのあたりで、ちょうど「散歩道」だった?
北詰東側には料亭「魚竹」があり、その前にUFO舟が浮いていました。
今日は北山が白くなっていて、吹く風も寒いけれど、快晴なのが救いです。
根元がコンクリ−トで固められて、水が上がりやせんがじゃないろうか、排気ガスでやられちゃあせんろうか、そればあ高齢じゃったろか、ち、心配になるがよね。(佐竹) |
天神橋といえば大クスノキ(2001.2.14)が南詰め西側にあります。
周囲7.5m、樹高25m たもとに説明看板があります。
天神橋というのは橋の南側に潮江天満宮があるからです。
橋の近くから参道を進み、手水で手を洗い清め、彫刻の素晴らしい門をくぐり右の方へ
今は受験シーズンで、夜もお払いをやっているようです。
天満宮のすぐ隣には藩主山内公菩提寺の真如寺があります。(2001.2.14)
また、通りを隔てて名水三選の要法寺では茶会が開かれていました。
説明板によると、茶道界では土州=桜井戸の水、武州=玉川上水(将軍家御用水)、
大和=醒が井の水(千利休茶用水)が三名水らしい。古い桜の木が朽ちて外側だけが残り、
井戸枠のようになり、その底から清水がわき出たところから桜井戸の水といわれる。(2001.2.14)