よいよい写真館川と山鏡川と橋>新月橋付近

新月橋付近(FUJIFILM FinePix1300を使用 2001.01.27撮影.01.28作成 )

 新月橋のゆらい(南詰め東側にある案内板より)

 鏡川に架けられた最初の橋は天満橋(現在の天神大橋)で、江戸期に藩主が菩提寺の真如寺へ行くためのものであった。当時は、舟渡し場が4カ所設けられ、ここも、その一つであった。明治4年の青柳橋に続く3番目の橋として明治31年に新月橋が架けられた。築屋敷の上流にしくかれた堤(シンヅキ)のそばであったところから転じた命名と思われる。
 本橋は南部市街地の発展に伴う、交通環境の変化に対応するため、昭和35年12月に架けられた橋を架け換えたものである。




秋空・・・まだ9月初旬は暑い。けど、空の雲は秋空・・・2008.9.3/CONTAXSL300RT*



最近架け換え完成した新月橋です。
歩行者を意識した、たいへんきれいなつくりです。
後に出てきますが、向こうの森は石立八幡宮です。



橋の途中の数カ所には夏の日を避け休憩するための藤棚があります。
ただし、植物はよく使われるフジではなく、アケビだろうと思われます。



新月橋南岸西方の様子。河原が広い。



たぶんこの対岸が「ハツオ君の自転車通学」の舞台じゃろう。



石立八幡宮の参道は森の東側にあります。



下で思ったより立派な拝殿です。
このときは台風で北側の斜面が崩れ、修復費用を募っていました。
祭っているのは応神天皇、神功皇后、多岐理姫、水速女神、玉依姫神など
県の自然環境保全区域ともなっています。

新月橋を北に行けば電車通りに続く上町五丁目商店街があります。
左上の写真は橋から電車通りの方向に向かって、右の写真は電車通り近くから橋の方向に向かって写しました。

電車通りまでの間にひとつ水路沿いの狭い通りがあり、この交差点から東は水道町といい、西を玉水町といいます。


藩政時代にはここがお城下の西の境目で番所がありました。
所払いの罪を犯したもの、例えば駆け落ちをした純信などはここから西へと
追い出されたようです。またここから始まる玉水町は女郎屋のまちであり、今もごく短い橋が
残っていますが、その名も「思案橋」です。


玉水町は戦後まで遊郭の町でありました。>>>ハツオ君の自転車通学はここ<<<
今は大きなマンションが建ち、風情がなくなりましたが、数軒は
そのなごりが感じられる宿が残っています。
(「ハツオ君・・・」は我が高校の同窓生であり、大学教授となっている彼が執筆しました。)

よいよい写真館川と山鏡川と橋>新月橋付近